アナーカ・フェミニズム・コレクティブ
〈寤寐社〉(gobi-sha)
発足にあたって
この世に果たしておのれの居場所と呼べるものが実在しうるのだろうか――それは私が今に至るまで抱き続けている巨大な問いである。
アナキストであり、フェミニストであり、パンセクシュアルであり、ASDであることは、私にとってはおのれを構築している極めて重要な土台であるが、私が生まれた社会においては決して当たり前ではない。すべてにおいて逆風が吹いていると言っても過言ではない。それはとても苦しい。どこへ行っても、何かがずれる。
それでも、と言うべきか、あるいはだからこそと言うべきなのか、自分が偶然生を受けたこの列島社会のありさまを見て、何かを変えてやりたいと、私は強烈に志向する。人の存在/尊厳が否定される状況を修復し、権力が目の前にあることを許容しない。そのための行動を、何よりもおのれが生きるために起こしたいと思った。行動を重ねた先に、権力のない世界が待っていると期待することを、みずからの生のかすがいにしたいのである。
私はユートピア主義者だ。生きていくために、そうなのだ。
ただ、そのような立場から社会運動に触れてきた者として、困難や疑問は常にあった。そのすべてをここに書き連ねることはしないが、まとめて言ってしまえば、根本的には「相反する行動(あるいは、相反するように感じられてしまう行動)をひとつの身体で引き受けてやっていくこと」の困難である。ラディカルであろうとすることと運動の間口を広げること、「かっこいい運動」が人を惹きつける一方でその「かっこよさ」に疎外感を覚える人がいると意識すること、常に教わる側の姿勢を失いたくないと思いつつ左派として「継承」を実践する必要があること、他者とつながれないことと他者とつながらなければできないことがあること。それ以外にも無数にあるが、これらの課題について確実に言えるのは、「すべてを一人でうまくやる」のは難しい、ということだった。
それゆえに、今私は、〈寤寐社〉を立ち上げようと思う。ごびしゃ、と読む。これは私ひとりのコレクティブであり、この先私以外のメンバーを加えるつもりはない。ならばコレクティブである必要はないのではないかと思われるかもしれない。だがそうではないのだ。他者と共に行動を起こすために、私は私そのものと他者との間に寤寐社という場を置く必要がある。寤寐社は幾度となく他者と流動的な協働を行うだろう。そのために、私そのものと誰かが繋がるのではなく、寤寐社が場となって、目的ごとの離合集散を幇助してくれるはずだと期待している。
寤寐とは、「寝ても覚めても」という意味だ。「詩経」にはすでに記載のある語彙で、列島の中世文書(私にとってはとても身近なものだ)にもよく登場する。たまたま読んでいた史料集の「奈良北山宿非人曼荼羅堂修造願文」で見かけて、これにしよう、と思い立った。
この文書は貞慶の筆で、「前世の罪業によって非人となった」と当時信じられていた人びとが、罪業をそそぐための曼荼羅堂を修理したいと発願したものだ。非人が「身命を支うるの計い」すらないまま、苦しみ彷徨い、その渦中で「昼夜寤寐」にわたって懺悔している、ということが切実に綴られている。作られた差別構造の中で、非人とされた人びとにとって、苦しみは寝ても覚めてもついてまわるものだったのだ。
私も同じだ、とは死んでも言うまい。状況も文脈も違いすぎる。だが、この苦痛をできる限り想像したいと思った。そのような、途方もなく遠い存在としての他者に出会いたいと思った。そして、私自身、孤独な道を歩いているように感じつつも、実のところ寝ても覚めても(布団にしがみつかんで希死念慮の嵐に耐える夜も、どれほど覚醒したいと思っていても眠りに閉じ込められる昼も)、ずっと他者のいる社会で生きているのだということを、あらためて掲げたいのである。
われらは孤独である。だが同時に、孤独ではない。真っ暗闇を歩いているように感じられるときでも、ふと振り返れば、社会に対して異議を申し立てる炎が揺らいでいるのを確認できる、そしてその火は親密さと無関係にあちらこちらに引き継いでいける、そのような状況を作りたい。私はそのために動きたい。
これから何をするか、まだ何も決めていない。だが、おのれにやるべきことがあるのは分かっている。私は私が果たしたい役割に、寤寐社という場で少しずつ向き合うつもりだ。この動きが周囲に飛び火していくことを願う。破壊と再構築を繰り返しながら生き延び、その先を共に見よう。この一方的な誘いひとつを置いて、以上を発足の言葉とする。
2024年12月10日
高島鈴